ゼルダの動画の再生回数が上がっています。
普通の人気動画に比べれば僅かですが、私には本当にありがたい。
みなさんありがとうございます!見てくださる方がいて何ぼです。感謝。
この作品の説明をしていませんでしたね。
『ゼルダ~最後のフラッパー~』は、20年代アメリカで、とてもバブリーな時代の先駆者となった、スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ・フィッツジェラルドの話です。実在の女性です。
フラッパーとは、おてんば娘のことで、ゼルダは元祖おてんば娘、今でいえばちょっと変わったことする女の走りのようなカリスマ的存在わけです。
スコットは小説家で、有名な作品は、『華麗なるギャッツビー』というハリソン・フォード主演の映画になったものです。
そして、この舞台は、7年前に先立ったスコットに精神病院に入れられたままのゼルダが、自分の生涯を振り返っていく話。そしてそして、実は、この日の夜に彼女は病院の火事により、亡くなられます。そう、これは彼女の生涯最後の日です。
『ゼルダ』は舞台が精神病院だから暗いお話なイメージが強いかもしれないですが、
ゼルダのいろんな面がさらけ出されるので、シーンシーンで楽しめると思います。
何より希望があります。そして今改めて観ていると、ゼルダの発言は真髄をついている所があります。今の方がハッとしたり、グッと来たりしてます。
この公演中に撮影してくれた、たけしさんの配慮で、この舞台は『寄り』のカメラの映像が残りました。
『寄り』と『引き』の映像でお楽しみいただけます。
結果、桟敷席の迫力でビデオをお届け出来るのがとてもうれしいし、舞台のよさがあまり色あせずに残せた勝因のような気がします。
ゼルダパワーは、インド並みに一筋縄には事を運ばせてもらえず、何度もやり直しながら、もうじきDVDが完成しそうです。4年越しの子供との再会のような気分です。
この作品、制作側の役者はじめ、スタッフ全員が、この作品がとても好きでした。
だからカメラマンも丁寧に撮影してくれたし、衣装も照明も音響も、みんな芝居心をいっぱい込めて仕事をしてくださいました。そのエネルギーが映像からもジンジン伝わってきました。
ときどき、なぜ一人で芝居をするのですか?と聞かれます。
私は、いろんな人と芝居するのも好きだし、一人も好きです。
でも、本当に一人では芝居は出来なくて。必ず、演出やスタッフさんがいます。
そして、必ず、お客さんがいます。
だから、一人芝居は一人じゃないのです。
寂しくもないです。
皆でやっても、一人でやっても、好きですし、楽しいです。
だから、時々、自分のお客さんと、私、という空間を作らせていただいています。
全国にわずかひと握り、私を好いてくださる、その人たちのために。
もちろん、これを機に好いてくださるかもしれない人のためにも。
どうぞよろしくおねがいいたします。
今年も久しぶりに一人でがんばるかもです。
2010年5月13日木曜日
ゼルダ!ゼルダ!ゼルダ!
最近一念発起して、以前の一人芝居『ゼルダ 〜最後のフラッパー〜』のビデオを編集しています。
4年前の作品となりましたが、はじめて自分で見ました。見るの怖かったんですね。
必死にもがいて演じた舞台、しょぼかったらどうしようかと。。。
見てみたら、カメラマンが上手に撮影してくれたので、意外と見れました。
さっそくYOU TUBEにアップしましたので、是非皆さんplayingの動画コーナーでご覧になって下さい。
今回はPC版と、モバイル版で、2つアップしてます。
どちらも梅干し食べた後のような顔しか出てこなくて、ちょっとどこぞのモノマネショーみたいなトップ映像になってますが、意外と頑張ってるシーンの顔なんで。
クスッと笑いながらクリックされてはいかがかと思います。
ご来場くださった方はこんな事もあったね〜、と楽しんで頂ければこれ幸いです。
4年前の作品となりましたが、はじめて自分で見ました。見るの怖かったんですね。
必死にもがいて演じた舞台、しょぼかったらどうしようかと。。。
見てみたら、カメラマンが上手に撮影してくれたので、意外と見れました。
さっそくYOU TUBEにアップしましたので、是非皆さんplayingの動画コーナーでご覧になって下さい。
今回はPC版と、モバイル版で、2つアップしてます。
どちらも梅干し食べた後のような顔しか出てこなくて、ちょっとどこぞのモノマネショーみたいなトップ映像になってますが、意外と頑張ってるシーンの顔なんで。
クスッと笑いながらクリックされてはいかがかと思います。
ご来場くださった方はこんな事もあったね〜、と楽しんで頂ければこれ幸いです。
2010年5月6日木曜日
2010年5月2日日曜日
インド、恐るべし 〜言葉なんていらないのさ編〜
今回はブッダガヤの思い出を。
デリーからインドへ入り、最初に向かった街、ブッダガヤ。
ここで子供達との楽しい交流をしました。
私がブッダガヤで訪れた、『ミネハハ・フリーエデュケーション・スクール』は、ミネハハさんという日本人歌手の方のお名前でつくられている、学費、給食費、制服、すべてを無償で提供している学校です。
子供達は遠くの村から歩いて登校してきます。
とっても、げんき!
最初に訪れた時は朝の朝礼中でした。200人くらいの子供達は私達日本人を見ると、全員起立して小さな手を胸の前で合掌して『ナマステ〜〜〜〜!!!』と挨拶してくれました。
そのあと、各教室にぎゅうぎゅうに座る子供達の前で自己紹介をすると、皆も一人ずつ自己紹介を始めてくれました。
60人くらいかなあ。ずっっと自己紹介です。
『メラナーム、○○クマリ!』(女の子)
『メラナーム、○○クマール!』(男の子)
って感じで。
沢山の子と、沢山コミュニケーションするのですが、言葉の壁が完全に崩壊しています。
みんな、目を合わせて、笑顔で声出してればおっけい!
私も驚くくらいに心が通じ合っているのが分かります。
そしてみんな、ちょっとだけ覚えている日本語を楽しそうに話してくれます。
『イッチ、ニー、サーン・・・・』20まで続きます。なぜかみんな20まで制覇しています。
とか、顔の部分を指差して、『メー、ハナー、クチビルゥー、マユゲー』とつづきます。
女の子達はここはなんて言うの?と言いながらお尻をさすので
『オシリー!!』っていいながらオシリを掴んであげると、キャーーッと喜んで走り回ります。
沢山のグループから、『アーイー、カムカム!』と呼ばれて、どこに行ってもそんな感じです。
これで1日が終わってしまうくらいに、子供達は楽しんで帰っていきます。
言葉を超越して楽しめる子供達の才能に、言葉の奥にある伝えたい、通じ合いたい気持ちの大切さを、身体で教えてくれた一週間でした。
でもインドは多言語国家。もともとインド人同士でも言語が違うことは日常茶飯事で。
ほんとにどこに行っても、勘のよさがコミュニケーションを左右します。
日本語知らないインド人でも、途中から日本語で話してても、ふつうに理解してたりします。
ほんと、インド、恐るべしデス。
デリーからインドへ入り、最初に向かった街、ブッダガヤ。
ここで子供達との楽しい交流をしました。
私がブッダガヤで訪れた、『ミネハハ・フリーエデュケーション・スクール』は、ミネハハさんという日本人歌手の方のお名前でつくられている、学費、給食費、制服、すべてを無償で提供している学校です。
子供達は遠くの村から歩いて登校してきます。
とっても、げんき!
最初に訪れた時は朝の朝礼中でした。200人くらいの子供達は私達日本人を見ると、全員起立して小さな手を胸の前で合掌して『ナマステ〜〜〜〜!!!』と挨拶してくれました。
そのあと、各教室にぎゅうぎゅうに座る子供達の前で自己紹介をすると、皆も一人ずつ自己紹介を始めてくれました。
60人くらいかなあ。ずっっと自己紹介です。
『メラナーム、○○クマリ!』(女の子)
『メラナーム、○○クマール!』(男の子)
って感じで。
沢山の子と、沢山コミュニケーションするのですが、言葉の壁が完全に崩壊しています。
みんな、目を合わせて、笑顔で声出してればおっけい!
私も驚くくらいに心が通じ合っているのが分かります。
そしてみんな、ちょっとだけ覚えている日本語を楽しそうに話してくれます。
『イッチ、ニー、サーン・・・・』20まで続きます。なぜかみんな20まで制覇しています。
とか、顔の部分を指差して、『メー、ハナー、クチビルゥー、マユゲー』とつづきます。
女の子達はここはなんて言うの?と言いながらお尻をさすので
『オシリー!!』っていいながらオシリを掴んであげると、キャーーッと喜んで走り回ります。
沢山のグループから、『アーイー、カムカム!』と呼ばれて、どこに行ってもそんな感じです。
これで1日が終わってしまうくらいに、子供達は楽しんで帰っていきます。
言葉を超越して楽しめる子供達の才能に、言葉の奥にある伝えたい、通じ合いたい気持ちの大切さを、身体で教えてくれた一週間でした。
でもインドは多言語国家。もともとインド人同士でも言語が違うことは日常茶飯事で。
ほんとにどこに行っても、勘のよさがコミュニケーションを左右します。
日本語知らないインド人でも、途中から日本語で話してても、ふつうに理解してたりします。
ほんと、インド、恐るべしデス。