昨日は誕生日でした。
久々の晴れ日、布団を干して、洗濯機を回して。。。
家族は疲れてるので、期待せず、いそいそと7月のライブの初リハーサルへ向かいました。
トップページでもお知らせの通り、7月29日、国分寺のカフェスローにて行うライブです。
キャンドルナイトのカフェで、絵本を2冊、朗読します。
ピアノ演奏と、絵本からミュージカルを作った歌のライブもあります。
初めて揃う3人。とても楽しみでした。
小倉さんのピアノは案の定、抜群の選曲を用意して下さり、Anちゃんの歌声は今後がとても楽しみな感じでした。
いい縁が、いい縁を広げてくれているなあ、と、小倉さんやAnちゃんに引き合わせてくださった方々に感謝の気持ちで、リハーサルを楽しみました。
これはなかなか贅沢な夜になりそうです。たのしみです!
まだ情報チェックしてない方は、トップページのNew Scheduleでチェックして下さい!
そんな二人と、リハのあとにお食事をして、いろんな話しをして、帰ってきました。
ひさびさにぶっちゃけた話しをし合えた気がします。
小倉さんは、自覚のない宇宙人なのではないかと思っています。
Anちゃんは、唄うことを神様から授けられた人なのではないかと思っています。
いつもいつも、お役目をちゃんと果たしている人々と出会えて、本当に有難いなあ、と、感謝の誕生日でした。
私の相手をして下さっている皆さんに感謝です。
みんな、ありがとう。
2011年6月26日日曜日
オプショナルツアー
〜番外編:夢の国ウンブリア州編〜
ローマから内陸へ向かうと、ウンブリア州という、イタリアのど真ん中の州があり、
ここまでテルミニ駅から特急で約30分。
新宿〜町田のロマンスカーみたいな感じで、もっとのどかな町に出れる。
ここにはこんなに素晴らしい、アメリアという古い町と、
美味しい食事を食べさせてくださる、アグリツーリズモがある。(農家で自給自足のフルコースを食べたり、長期滞在も出来る)
4日間で私達なりにローマを満喫し、5日目の朝、テルミニ駅からウンブリア手前のオルテ駅まで、特急で移動した。スーツケースごとの移動だったので、ルイジさん(1日目参照)が手配してくれた一等席の個室で、荷物も悠々と置いてゆとりの移動。
オルテにはウンブリア在住の菊池さんというガイドさんが迎えにきて下さり、一日観光をガイドして下さった。
菊池さんはご家族でウンブリアに暮らしていらっしゃって、(ご家族というのはご自身の家族と、菊池さんのお姉様、お父様も含めてのご家族です)ここにみんなで住んでしまったそのご家族ごとの行動力がすごいなあ、と思う。
ここでは、イタリアのスローライフを体験出来る場所として、人気の場所のようで、行ってみると北海道の美瑛のような景色がずっと続いており、長期滞在で、イタリア料理や、芸術など、じっくり堪能される方が多いそうだ。
きっと居心地はいいと思う。
きっと数ヶ月があっという間に過ぎてしまうと思う。
そんな美しい所だった。
午前中、母を筆頭に乗馬が好きな私達のために乗馬クラブへ連れて行って下さった。
そこで、気持ちよい木陰や、かわいい民家や、畑の中の真っ白な一本道を、馬でお散歩した。
遠くの丘にアメリアの美しい町も見え隠れする。
木にはサクランボが鈴なりになっているのだけれど、残念ながら器用に食べるのは乗馬クラブのスタッフさんだけだった。悔しい。食べたかった。。。
わたしの乗った馬は柏の葉っぱを食べていた。(柏、イタリアにもあるんですよ。おもしろですね。緯度が同じなので、花や木が日本と本当に同じだったりします)。
ちなみにこの乗馬スタッフのおじさんが、マリオに似てるってこと、気づいたのは帰国後にみんなに写真を見せてからだった。
私達の乗馬写真を菊池さんがHPに載せて下さったので、良かったらご一読ください↓
『イタリアの真ん中で暮らす』
☞ブログはこちら
馬は楽しいです。結構いろんな国で乗れます。
さて、馬でおなかが減ったので、美味しいフルコースに連れて行って下さいました。
農家さんでアグリツーリズモ!
先述したように、時給自足のフルコースです。ワイン畑を見ながら風の通る気持ちよいテラスでお食事。ここには車の騒音ゼロ。なんて気持ちよいのでしょう。。。。
昼食からは菊池さんのお姉様がガイドをして下さいました。
下戸家族なので、ワイン畑を見ててもワインは一口しか飲めなかったのですが、美味しくて気持ち良くて、とても幸せでした。
前菜でこれだけ盛り合わせて下さいました。
そしてコース全食ごらん下さい!
想像に容易いかと思いますが、食の細い私には、残念ながら完食できず、妹が日本では見せない食欲を発揮して平らげていました。素晴らしい。
青葉繁る、ワイン用のぶどう畑♪
一口のワインで出来上がった私は食後に芝生でくつろいでいました。
さて、時間がないので急いでアメリア観光です!
アメリアはかつてエトルリア人と言う未だどこから来たのか分からない人々によって最初に作られた町で、その後ローマ帝国の支配下に置かれた時に、町の一番上に教会が作られた、とのことです。
ローマ以上の古さを感じますが、小さな町のかわいさも感じました。
アメリアは丘の上の町なので、見晴らしも気持ちよいです!
ウンブリアはナルニア国物語で有名なナルニのある州でもあります。
こんな感じの田園風景、映画で見た気がしませんか?
と言うわけで、私達の珍道中もなく、あっという間に時間が過ぎた最終日。16時半には電車に乗り、帰国の空港へと向かったのでした。
最後にゆったりとしたウンブリアで半日を過ごしただけなのに、ローマの都会での疲れが一気に癒された時間でした。
ローマに行かれる方には、帰る前の田舎時間、ぜひぜひおススメです!
ご興味あるかたは、ぜひウンブリア州へ遊びにいかれて下さい♪
とにもかくにも、いろいろな人々の優しさに支えられて、ピエタ巡礼ツアーも無事終了いたしました。
本当に楽しい旅でした。母と妹との旅でしたが、皆さんへの感謝の気持ちとも一緒に旅してきました。皆さんにも少しでもお裾分けさせて頂きたくて、書かせて頂きました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
おつかれさまでした!
おわり。
2011年6月22日水曜日
ピエタ巡礼ツアー4日目。
〜母、本領発揮編〜
今日は穴場を巡ってみよう、そして、歩きすぎたらバスを使おう!
という2つのテーマでコースを決めた。
穴場とは、ご存知の方もおありでしょうが、『鍵穴』。
マルタ騎士団の壁の鍵穴から偶然にもサン・ピエトロ大聖堂が見える。
誰が見つけたんでしょうね。
写真に撮るのが難しかったので、一番その日見た景色に近い画像をご紹介。
こんなです。
本当に美しい。面白い。行ってよかったスポットです。
その前には、お約束の真実の口にも行きましたが、撮影の列が並んでいて、口に手を入れるのにドキドキする余裕はありませんでした。
しかも、あれは、昔の井戸や下水口の蓋、マンホールなのだそうです。
・・・・デカイですね。そして、足下にあの顔があった方がわたしはどきどきしたと思います。
鍵穴をのぞいてから、コロッセオに向かって、高級住宅地を抜けていった。
高級かどうかに興味はなかったけれど、車社会のローマで、車の走り回る気配が殆どなく、花の咲き乱れる住宅地は気持ちよかった。
どの家も、玄関が気にいってしまった。
古いものを上手に使っている。
写真には撮れなかったけど。
大通りに出た所でローマで最後のランチを食べた。パスタに疲れたので、サラダとステーキと、ベイクドポテト。
イタリア人は、取分け、という習慣が外食ではないようで、一人で、山盛りサラダだけを食べてる人とか普通に多くて面白い。
再び歩いてコロッセオを横目に、バス乗り場へ。
またしてもバスが来ない。
乗り物とはなかなかタイミングが合わない旅である。
真夏の日差しの中で30分程待って、ミニバスにやっと乗れた。
昨日の買い残しを探しに再びスペイン広場へ。
各々用事を済ませて、バスに乗り、この2日間、夕暮れ時を逃して観に行けなかった、トラステヴェレのジャニコロの丘へ3人でタクシーで向かった。
17時くらいだったけど、まだまだローマは明るい。
見晴らしの良い丘の上で、記念撮影。
妹が写真を撮りながら言った。『ピエタツアー、これにて終了だね!』
は〜い、本当にそうです!
晴れ渡るローマを見渡し、本当にずっと楽しかった、と全てに感謝した。
夜は残念ながらあまり美味しくなかったリストランテに入ってしまい、口直しにサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ広場のカフェでお茶をした。
そこにはオレンジがかごに摘まれており、元来申年(さるどし)の母は、果物とナッツがないと生きていけない。どうしても食べたい、という顔をしていたので、ジュース用のそのオレンジをカットで出して欲しい、と交渉した。
バイトが休んでしまったのか、一人でオーダーに奮闘していた青年が、母の切なる願いを叶えてくれた。
母は、食べごろのオレンジを食したとたん、みるみる目が蘇った!
(ロールプレイングゲームみたいな展開だが。)
食べきれなかった分を持ち帰ったものの、私達のホテルにも見事なオレンジがたくさんなっていた。
『観賞用かもね』
というわたしの言葉を背に、二人は先に部屋へ向かった。
わたしがフロントで鍵をもらって、二人を追うと、
妹が、部屋の前のオレンジをもいでいる。
嬉しそうな母。
『何やってんの〜〜?!』というわたしのあきれた声に、にんまりとふりかえる、母。
もはや猿にしか見えなかった。
『どうしても一つ欲しいんだって。』と、親孝行気に言う、妹。
いやいや、それは親孝行ではなく窃盗共犯なのだよ、妹。
結局母は、このオレンジを振って、こう言うのです。
『なんかこのオレンジ、スカスカみたい。食べても美味しくないかもね。』
・・・。
翌朝、わたしが木の根元に実を戻したのでした。
やってくれます、おとみさん。
(母の名は富子)。
明日は夢の国、アメリアだ。
2011年6月21日火曜日
ピエタ巡礼ツアー3日目。
イタリアの芸術に精通していない私達3人は、少ない滞在日数なので、きばった教会巡りをさっさと諦め、3日目は最終目的地をコンドッティ通りのブランド店見物に定めて外へ出た。
日本では無理なのに、3人で部屋を共にしているせいか、目覚めがいい。
7時には3人とも起きて、気持ち良く朝食をとり、いざ出かけた。
市場が見たかったので、朝市に出向いた。
もう、庶民の場というよりは観光名所になっているようで、どこも同じだが、台所便利グッズの実演販売を陽気なおじさんがしてくれた。
私達を中国人と思っているようで、しきりに犬のおもちゃをトマトやレモンに添えている。
いやいや、食べませんよ、犬・・・。
でも、イタリア語の響きはそれだけで歌のようで、陽気に話されるとついつい楽しく聞いてしまう。いや待て、あれはイタリア語なまりの英語だったな。(と、気づいたのは帰国してブログに残している今になってから。)
とにかく色とりどり、華やかだった。
さすがイタリア、エスプレッソマシーンがずらっと並んでいた。
みんな買って帰るのだろうか?
でも、あのカプチーノの美味しさは、水と空気が多いに関わっているのだよね。
そこから何となしにナボーナ広場へ向かった。
今日は妹がガイドだ。心強い。
地図を片手にあっちだこっちだ、と、導いてくれる。
ガイドブックをしきりに見て歩くと、スリが危ないので、地図だけちぎって持ち歩いていた。
結果、今日は観光内容が殆ど分からず、何となしに歩いた。
ナボーナ広場とその近くの教会でよくよく分かったが、巨匠の作品は、ガイドブックがなくてもよく分かる。ダントツに美しいのだ。
例えば、行かれたかたはご存知であろうナボーナ広場の噴水は3つある。
真ん中にある大きな噴水、これがずば抜けていた。
『・・・どうみてもこれだけ違うよね〜〜〜。。。』と揃ってうなずく私達。
ベルニーニの四大河の噴水だった。
時代の作風のせいかもしれない、でも、ルネサンスの筋肉美を表現した作品はどれも素晴らしいと思った。
躍動感とか、生命観、とか、表情、とか。こんなにも伝わるのか〜って。
その隣にある噴水は、どう見てもしょぼく見えてしまって、像がふてくされてるようにすら見える・・・・、と笑った。
老舗の文房具店をまわりつつ、パンテオンにもたどり着いた。
おお、もうすぐだ、ということで、トレビの泉にもたどり着いた。
ランチを食べて、いざ、スペイン広場とホテルエデンへ向かう。
途中、母が体調を崩しかけるが、せっかくだからわたしも見る!と頑張って一緒に歩いた。
『ピエタ』の物語は、スペイン広場から始まるのだ。きょうの目玉である。
そして主人公の泊まっていたホテルは、そこから程内、ホテルエデン。五つ星である。
ホテルエデン、立派なホテルだった。ちゃんとドアマンがいる、当たり前か。
ちょっと緊張しつつも、ロビーだけ見てみよう、という話しになり、3人でなかに入ってみる。
正面のロビーは、暖炉のあるちょっとした応接間の風情で、さりげなく静かにクラシックが流れている。
素敵だけど、どう考えても私達の空気ではない。
なぜか密やかに話してしまう。
『わ〜〜〜・・・』と喜びつつもなんだか恥ずかしくなって、結局5分もいなかったのではないかと思う早さで出てきた。
ここのホテルのリストランテはローマを一望出来る。
ちょっと憧れてはいた。
でも、この緊張感で食事したら、味が何にもわからないだろうな、と思った。
なので、行かなかった。
いよいよスペイン広場へ。
トリニタ・ディ・モンティ教会のファサードから、広場を見下ろす。
背が低くて、よく見えないから、手すりに乗り出す。
おおおお〜〜〜〜。
ここはもちろんローマの休日ファンにも外せないスポット、だから、すごい人だかり。
試しに母に階段の下の噴水のほとりで待っていてもらった。
果たして階段から見つけられるだろうか、と。
これは絶対やりたいとローマへ行く前から楽しみにしていた。
結果、24年ぶりの再会だったら見つけられる自信はないなあ。。。と思ったが、
うちの母は小柄だけど存在感があるので、そして一緒に暮らしているので、すぐに分かった。
さて、あなたはわかるでしょうか?ヒント、紫の人。(美輪明宏さんではない)
これならわかるのでは?!
さて。
いざ階段を下りて母の元へ行こうとして驚いた。
毎日、何百、何千の観光客が腰掛け、上り下りする階段は、ツルッツルの前のめりに石が減り、磨かれていた。
わたしは良かったのだが、妹はヒールを履いていたので、足下を見ずには怖くて降りられないと言っていた。手すりも近くにはないのだから、あれは怖かったと思う。わたしも足下は見てないと危なかった。
と言うわけで、小説のように母を見下しながら降りることは出来かった。残念。
母と、妹とスペイン広場へ来た。
それはピエタ像を3人で見れたことと同じくらい嬉しかった。
そして、トリニタ・ディ・モンティ教会の2つの鐘楼は、やはり夏空を押し上げるようにそそり立っていた。
つづく。
日本では無理なのに、3人で部屋を共にしているせいか、目覚めがいい。
7時には3人とも起きて、気持ち良く朝食をとり、いざ出かけた。
市場が見たかったので、朝市に出向いた。
もう、庶民の場というよりは観光名所になっているようで、どこも同じだが、台所便利グッズの実演販売を陽気なおじさんがしてくれた。
私達を中国人と思っているようで、しきりに犬のおもちゃをトマトやレモンに添えている。
いやいや、食べませんよ、犬・・・。
でも、イタリア語の響きはそれだけで歌のようで、陽気に話されるとついつい楽しく聞いてしまう。いや待て、あれはイタリア語なまりの英語だったな。(と、気づいたのは帰国してブログに残している今になってから。)
とにかく色とりどり、華やかだった。
さすがイタリア、エスプレッソマシーンがずらっと並んでいた。
みんな買って帰るのだろうか?
でも、あのカプチーノの美味しさは、水と空気が多いに関わっているのだよね。
そこから何となしにナボーナ広場へ向かった。
今日は妹がガイドだ。心強い。
地図を片手にあっちだこっちだ、と、導いてくれる。
ガイドブックをしきりに見て歩くと、スリが危ないので、地図だけちぎって持ち歩いていた。
結果、今日は観光内容が殆ど分からず、何となしに歩いた。
ナボーナ広場とその近くの教会でよくよく分かったが、巨匠の作品は、ガイドブックがなくてもよく分かる。ダントツに美しいのだ。
例えば、行かれたかたはご存知であろうナボーナ広場の噴水は3つある。
真ん中にある大きな噴水、これがずば抜けていた。
『・・・どうみてもこれだけ違うよね〜〜〜。。。』と揃ってうなずく私達。
ベルニーニの四大河の噴水だった。
時代の作風のせいかもしれない、でも、ルネサンスの筋肉美を表現した作品はどれも素晴らしいと思った。
躍動感とか、生命観、とか、表情、とか。こんなにも伝わるのか〜って。
その隣にある噴水は、どう見てもしょぼく見えてしまって、像がふてくされてるようにすら見える・・・・、と笑った。
老舗の文房具店をまわりつつ、パンテオンにもたどり着いた。
おお、もうすぐだ、ということで、トレビの泉にもたどり着いた。
ランチを食べて、いざ、スペイン広場とホテルエデンへ向かう。
途中、母が体調を崩しかけるが、せっかくだからわたしも見る!と頑張って一緒に歩いた。
『ピエタ』の物語は、スペイン広場から始まるのだ。きょうの目玉である。
そして主人公の泊まっていたホテルは、そこから程内、ホテルエデン。五つ星である。
ホテルエデン、立派なホテルだった。ちゃんとドアマンがいる、当たり前か。
ちょっと緊張しつつも、ロビーだけ見てみよう、という話しになり、3人でなかに入ってみる。
正面のロビーは、暖炉のあるちょっとした応接間の風情で、さりげなく静かにクラシックが流れている。
素敵だけど、どう考えても私達の空気ではない。
なぜか密やかに話してしまう。
『わ〜〜〜・・・』と喜びつつもなんだか恥ずかしくなって、結局5分もいなかったのではないかと思う早さで出てきた。
ここのホテルのリストランテはローマを一望出来る。
ちょっと憧れてはいた。
でも、この緊張感で食事したら、味が何にもわからないだろうな、と思った。
なので、行かなかった。
いよいよスペイン広場へ。
トリニタ・ディ・モンティ教会のファサードから、広場を見下ろす。
背が低くて、よく見えないから、手すりに乗り出す。
おおおお〜〜〜〜。
ここはもちろんローマの休日ファンにも外せないスポット、だから、すごい人だかり。
試しに母に階段の下の噴水のほとりで待っていてもらった。
果たして階段から見つけられるだろうか、と。
これは絶対やりたいとローマへ行く前から楽しみにしていた。
結果、24年ぶりの再会だったら見つけられる自信はないなあ。。。と思ったが、
うちの母は小柄だけど存在感があるので、そして一緒に暮らしているので、すぐに分かった。
さて、あなたはわかるでしょうか?ヒント、紫の人。(美輪明宏さんではない)
これならわかるのでは?!
さて。
いざ階段を下りて母の元へ行こうとして驚いた。
毎日、何百、何千の観光客が腰掛け、上り下りする階段は、ツルッツルの前のめりに石が減り、磨かれていた。
わたしは良かったのだが、妹はヒールを履いていたので、足下を見ずには怖くて降りられないと言っていた。手すりも近くにはないのだから、あれは怖かったと思う。わたしも足下は見てないと危なかった。
と言うわけで、小説のように母を見下しながら降りることは出来かった。残念。
母と、妹とスペイン広場へ来た。
それはピエタ像を3人で見れたことと同じくらい嬉しかった。
そして、トリニタ・ディ・モンティ教会の2つの鐘楼は、やはり夏空を押し上げるようにそそり立っていた。
つづく。
2011年6月16日木曜日
ピエタ巡礼ツアー2日目。
〜いよいよピエタ像拝見!編〜
時差ぼけする事もなく、7時に3人とも起きる。
今日は知り合いの紹介で、ローマ在住の通訳さん、ルイジさんがバチカンへ連れて行ってくれるのだ。
9時に親切にもホテルへ迎えにきて下さるので、それまでに準備しなければ。
7時半からのホテルの朝食ビュッフェ、少し早めに行ったら、まだ準備してた。ホテルに咲き乱れるブーゲンビリアを3人で撮りまくる。
ツタも、日本ではあまり見かけないタイプで、かわいい。
朝食は朝から生ハム、オムレツ、クロワッサン、カプチーノ。朝はパン派の我が家には嬉しい。
朝食後に少し時間があったので、私と妹とでトラステベレのホテルの周りを散策してみた。
何度でも言うが私は初めてのヨーロッパだった。しかも、海外旅行で考えるとインドの次の、ローマ、というギャップがある。
・・・・・わぁ♪
・・・・・わぁぁ♪♪
曲がり角を曲がるたびに、まごうことなきローマンティックな路地の風景に何度となくテンションが上がった。
かつてロンドンに2ヶ月滞在した事のある妹は、横で、しみじみと、
『わたし、ヨーロッパ合うわ。』
とつぶやいていた。確かに妹は観光客に見えない。おそらくアメリカンなものをまとわない、または似合わないのだ。ヨーロピアンなものは、景色すらしっくり来る。(そんなすごいブランド品とかでなく、イメージ的な話しであります。)
インド後遺症で美しすぎる景色に感激し、迷いつつも、無事にホテルへ戻った。
9時半、ルイジさん到着。
歩いてバチカンへ向かった。
テベレ川の向こう側、という意味で『トラステベレ』という地名なのだけど、すぐ近くのテベレ川を昨晩は観てなかった。行きがけに、ルイジさんが橋まで寄り道してくれた。
小説に出てきたマロニエの並木は、緑のモールを通り越して、緑の壁と化していた。時が経ったのですね。
橋の中程から、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(ドーム型の屋根)が見えた。
私たち3人とも『おぉ〜〜〜!!!あれが!』と喜ぶ。こんなに嬉しいのはカソリック信者の皆様か家の家族ぐらいかもしれない。
ふと、後ろでおじさんの奏でるギターの音色が耳に入った。『マイウェイ』、だった。
青い空、水色のクーポラ。遥かに見えるその景色に、気持ちよい地中海性気候の風と、マイウェイが背中に気持ちよかった。これで良かったんだな、と、そっと自己満足した。
30分ほど歩くと、バチカン市国だった。
今は便利なもので、バチカン博物館とシスティーナ礼拝堂は、オンラインでチケット予約が出来る。
サン・ピエトロ大聖堂は無料なのだが、午前中は物凄い行列で、前の広場が円周に沿っておよそ一周、列で囲まれる。ところが午後に行くと、ガラ空きになる。
と言うわけで、ルイジさんのアドバイスにより、目の前にあるサン・ピエトロ大聖堂を尻目に、バチカン博物館へ先に向かった。チケットは、ルイジさんに予約しといてもらった。
本当に当日券を買いたい人が随分並んでいる。オンライン予約って、素晴らしい。
バチカン博物館で私が楽しみにしていたのは、ラオコーン像。
(ローマの予習として、しっかり読んできた)かの手塚治虫賞受賞作品、『テルマエ・ロマエ』3巻、と言えば好きな方にはピンと来るかもしれない。
これです。
ん?なんだっけ?
って方。
これなら思い出す???
そう、3巻の表紙モデルです。
ルイジさんに、是非この漫画を読んで頂こうと思っています。
日本とローマを愛するルイジさんならきっと好き!
そして、美しいいろんな時代の美術を鑑賞しつつ、さいごにシスティーナ礼拝堂へ。
ここの見所は、そう、ミケランジェロの大天井画『天地創造』と大壁画『最後の審判』。
すごい、と私が力強くキーボードを叩いてしまうのは、ミケランジェロはどちらの仕事も『渋々』引き受けた、ということ。
私は絵描きではないのに、何故こんな事を。。。
みたいな。
現代の人がそんなモチベーションでこんなこと、出来るだろうか?!
↑こんな事、ですよ???
ミケランジェロは本当に天才だと思いました。細胞で納得しました。
そんな感動の中、ルイジさんとの楽しい時間は過ぎて行き、ランチを食べて記念撮影。
ルイジさんタイム、終了です。ルイジさん、はじめてのローマ歩き、ガイドをありがとうございました!
そして、食後にいよいよピエタを観に!いよいよ!いよいよ!
小説に出てくる、アトリウムから右に流れる人の流れに載って少し行くと、ガラスに囲まれた聖段があるはずだったのですが・・・。方向音痴なのか、入り口が違うのか。見つけられず。先にクーポラの上まで昇ってみた。
行った事ある方はのぼったの〜、アレ。
と、思うかもしれません、そう、アレです。
途中まではエレベーターがあったのですが。最後の30分くらいは階段を上り続けていたような。。。非常に長い上り階段、しかも、幅は一人分しかありません、ちょっと横幅のある方にはかなりきついかもしれません、てくらい狭い上に、クーポラの外周に沿っているため、壁が斜めで、平行感覚もよく分から無くなる。。。
案の定、母が辛い訳です。
お母さん、ごめんなさい。
気軽に挑戦しすぎました。
なんとか、3人とも頂上へ到着。母と同じくらいの方も結構いらしていた。時々、到着の拍手が聞こえてくる。うん、よくやりました!と、私もこころで拍手。年配の方にはこれは大変な偉業です。
クーポラから下山すると、ようやくピエタにお目にかかれた。
ドキドキ・・・あのガラスの中だ。。。思ったよりも遥かに遠くに設置されている。
そんなに混んでなかったので、グイグイ、っと、最前列の手すりまで来て、母と妹とかぶりついた。
どんなに、資料を見ても分からなかった。
こんなに、悲しい顔をしていたなんて。
彫刻の表情は、写真にはどうしても写らない。どんなにアップでも。
無原罪のマリアの、若い顔に宿る、母の悲しみ。
近くで観て、やっと、悲しげに見えた。悲しげ、が初めて感じれた。生でないと無理なんだと、よくよく分かった。
でも、あらゆる経験をさせてくれた、マリア様の導き。ピエタをやりたい、と思ってから今までの全てを、ピエタ像のマリアに、感謝した。やっとお礼が言えたと思った。
そんな気持ちでピエタを見る人なんていないのかもしれないけれど。
きっと、3者3様の喜びがここにあったと思う。
マリア様、ありがとう。
時差ぼけする事もなく、7時に3人とも起きる。
今日は知り合いの紹介で、ローマ在住の通訳さん、ルイジさんがバチカンへ連れて行ってくれるのだ。
9時に親切にもホテルへ迎えにきて下さるので、それまでに準備しなければ。
7時半からのホテルの朝食ビュッフェ、少し早めに行ったら、まだ準備してた。ホテルに咲き乱れるブーゲンビリアを3人で撮りまくる。
ツタも、日本ではあまり見かけないタイプで、かわいい。
朝食は朝から生ハム、オムレツ、クロワッサン、カプチーノ。朝はパン派の我が家には嬉しい。
朝食後に少し時間があったので、私と妹とでトラステベレのホテルの周りを散策してみた。
何度でも言うが私は初めてのヨーロッパだった。しかも、海外旅行で考えるとインドの次の、ローマ、というギャップがある。
・・・・・わぁ♪
・・・・・わぁぁ♪♪
曲がり角を曲がるたびに、まごうことなきローマンティックな路地の風景に何度となくテンションが上がった。
かつてロンドンに2ヶ月滞在した事のある妹は、横で、しみじみと、
『わたし、ヨーロッパ合うわ。』
とつぶやいていた。確かに妹は観光客に見えない。おそらくアメリカンなものをまとわない、または似合わないのだ。ヨーロピアンなものは、景色すらしっくり来る。(そんなすごいブランド品とかでなく、イメージ的な話しであります。)
インド後遺症で美しすぎる景色に感激し、迷いつつも、無事にホテルへ戻った。
9時半、ルイジさん到着。
歩いてバチカンへ向かった。
テベレ川の向こう側、という意味で『トラステベレ』という地名なのだけど、すぐ近くのテベレ川を昨晩は観てなかった。行きがけに、ルイジさんが橋まで寄り道してくれた。
小説に出てきたマロニエの並木は、緑のモールを通り越して、緑の壁と化していた。時が経ったのですね。
橋の中程から、サン・ピエトロ大聖堂のクーポラ(ドーム型の屋根)が見えた。
私たち3人とも『おぉ〜〜〜!!!あれが!』と喜ぶ。こんなに嬉しいのはカソリック信者の皆様か家の家族ぐらいかもしれない。
ふと、後ろでおじさんの奏でるギターの音色が耳に入った。『マイウェイ』、だった。
青い空、水色のクーポラ。遥かに見えるその景色に、気持ちよい地中海性気候の風と、マイウェイが背中に気持ちよかった。これで良かったんだな、と、そっと自己満足した。
30分ほど歩くと、バチカン市国だった。
今は便利なもので、バチカン博物館とシスティーナ礼拝堂は、オンラインでチケット予約が出来る。
サン・ピエトロ大聖堂は無料なのだが、午前中は物凄い行列で、前の広場が円周に沿っておよそ一周、列で囲まれる。ところが午後に行くと、ガラ空きになる。
と言うわけで、ルイジさんのアドバイスにより、目の前にあるサン・ピエトロ大聖堂を尻目に、バチカン博物館へ先に向かった。チケットは、ルイジさんに予約しといてもらった。
本当に当日券を買いたい人が随分並んでいる。オンライン予約って、素晴らしい。
バチカン博物館で私が楽しみにしていたのは、ラオコーン像。
(ローマの予習として、しっかり読んできた)かの手塚治虫賞受賞作品、『テルマエ・ロマエ』3巻、と言えば好きな方にはピンと来るかもしれない。
これです。
ん?なんだっけ?
って方。
これなら思い出す???
そう、3巻の表紙モデルです。
ルイジさんに、是非この漫画を読んで頂こうと思っています。
日本とローマを愛するルイジさんならきっと好き!
そして、美しいいろんな時代の美術を鑑賞しつつ、さいごにシスティーナ礼拝堂へ。
ここの見所は、そう、ミケランジェロの大天井画『天地創造』と大壁画『最後の審判』。
すごい、と私が力強くキーボードを叩いてしまうのは、ミケランジェロはどちらの仕事も『渋々』引き受けた、ということ。
私は絵描きではないのに、何故こんな事を。。。
みたいな。
現代の人がそんなモチベーションでこんなこと、出来るだろうか?!
↑こんな事、ですよ???
ミケランジェロは本当に天才だと思いました。細胞で納得しました。
そんな感動の中、ルイジさんとの楽しい時間は過ぎて行き、ランチを食べて記念撮影。
ルイジさんタイム、終了です。ルイジさん、はじめてのローマ歩き、ガイドをありがとうございました!
そして、食後にいよいよピエタを観に!いよいよ!いよいよ!
小説に出てくる、アトリウムから右に流れる人の流れに載って少し行くと、ガラスに囲まれた聖段があるはずだったのですが・・・。方向音痴なのか、入り口が違うのか。見つけられず。先にクーポラの上まで昇ってみた。
行った事ある方はのぼったの〜、アレ。
と、思うかもしれません、そう、アレです。
途中まではエレベーターがあったのですが。最後の30分くらいは階段を上り続けていたような。。。非常に長い上り階段、しかも、幅は一人分しかありません、ちょっと横幅のある方にはかなりきついかもしれません、てくらい狭い上に、クーポラの外周に沿っているため、壁が斜めで、平行感覚もよく分から無くなる。。。
案の定、母が辛い訳です。
お母さん、ごめんなさい。
気軽に挑戦しすぎました。
なんとか、3人とも頂上へ到着。母と同じくらいの方も結構いらしていた。時々、到着の拍手が聞こえてくる。うん、よくやりました!と、私もこころで拍手。年配の方にはこれは大変な偉業です。
クーポラから下山すると、ようやくピエタにお目にかかれた。
ドキドキ・・・あのガラスの中だ。。。思ったよりも遥かに遠くに設置されている。
そんなに混んでなかったので、グイグイ、っと、最前列の手すりまで来て、母と妹とかぶりついた。
どんなに、資料を見ても分からなかった。
こんなに、悲しい顔をしていたなんて。
彫刻の表情は、写真にはどうしても写らない。どんなにアップでも。
無原罪のマリアの、若い顔に宿る、母の悲しみ。
近くで観て、やっと、悲しげに見えた。悲しげ、が初めて感じれた。生でないと無理なんだと、よくよく分かった。
でも、あらゆる経験をさせてくれた、マリア様の導き。ピエタをやりたい、と思ってから今までの全てを、ピエタ像のマリアに、感謝した。やっとお礼が言えたと思った。
そんな気持ちでピエタを見る人なんていないのかもしれないけれど。
きっと、3者3様の喜びがここにあったと思う。
マリア様、ありがとう。
2011年6月13日月曜日
ピエタ巡礼ツアー1日目。
今回の一人芝居、役者を始めて以来、ようやく初めて、自分がやりたいと思う作品にじっくり取り組んだ、思い入れの深い作品となりました。
それは、私にとっても、妹にとってもです。
そんな出会いになった『ピエタ』、その像を一度拝みたいなあ・・・というぼやきを拾ってくれた母。
そうでなくても、ずっと支えてくれていた母がプレゼントしてくれた、ローマ旅行。
とても楽しい旅になりました。ここにその旅行記を書いてみようと思います。
連載企画、ピエタ巡礼ツアーです!
『1日目。〜空港珍道中の巻〜』
日本を9時の飛行機で出発。トランジットで、北京経由。
北京に着くと、何機かの飛行機の乗り換え客が同時に空港に降り立ちました。
どうやらインドからの乗り換え客が盛りだくさん。。。。
へ〜、インド人ってイタリアへ行くのね。。。
なんて、のんきな事を思い浮かべるのもつかの間、北京への入国窓口がものすごい混雑し始める。
パスポートをまるで辞書でも読むようにじっっっっくりチェックする税関のおじさん。目の前には軽く300人くらいの外国人が群がっているのに気にもしない。
日本なら10分もあれば通過する税関を、軽く3、40分間待たされた。もっとだったかも。
あの税関のおじさんはもはや心のご病気に違いない。いくら外国人は空気を読めないと言ってもこんなに殺気立っているのに・・・。
私と母の眉間から、怒りジワは消えず、むしろ徐々に深まっている。
そんなこんなでやっとパスポートチェックを抜けたものの、、、、、、
・・・・はい?
今度は手荷物チェックゲートが・・・・一つしかない?!
相変わらず乗り換え客は軽く300人超えしてるのに・・・。
しかもインド人のおじいちゃんおばあちゃんは車いすで横入り、手荷物ゲートを鞄を持ったままやら、金属をジャラジャラ付けたままやらで5回くらい通り直ししいてる。
1時間弱しかない乗り換え時間はあっという間に過ぎて、飛行機に乗る前にジュースを一杯飲みながら、3人で憂さを晴らした。
そして10時間後、夢のローマに到着!
私は初めてのヨーロッパ、ワクワクしっぱなしである。
それなのに、またしても、入国口にて・・・税関がたったの二人。
・・・だから、この人数で税関二人は足りなすぎでしょ?????!!!!!!
なぜ?日曜日だから?理由はよく分からないが、こんどは軽く500人超えくらいの人々が、またしても入国待ちである。
私たち家族の前には大量のインド人団体。なんだか嫌な予感が・・・。
税関のおばさまは、今度は間違いなく心の病気におかされていて、半分ヒステリーになりながらインド人のパスポートをチェックしている。
後から聞いた所、インド人は一度入国すると中々帰らないらしい。失業率30%のイタリアではこれはちょっとした問題になっている。だからインド人のビザチェックは時間をかける。
再びさんざん待たされて1時間以上経った頃、ようやく新しい税関のお兄さん、到着。
驚く事に、このお兄さん、パスポートを見ることもなくイケイケ、と日本人を入国させてくれる。(これも最近のヨーロッパでは日本人のチェックは厚い信頼のもと無くなったのだそうだ)
パスポートにスタンプがつかなかったので母はややパニクっていたが、問題ないのだろう、という事で、ようやく荷物を受け取り、空港を出た。
タクシーでホテルへ。ホテルは、『ピエタ』の小説に出てきた母の住むアパルタメントにイメージが近かったので、『ホテル サンタマリア』という、トラステベレのホテルを予約してた。
トラステベレは細い路地が多いため、車が入れない通りもある。
と言うわけで、ホテルの近くでタクシーを降ろされ、3人3様に、重いスーツケースを引きずってホテルへ向かう。でも、まるで土地勘のない私たち。
小説に沿って表現すれば、まさに
『モザイクの美しいサンタマリア・イン・トラステヴェレ教会の近くでタクシーを降りた』
というか、降ろされたのだけど。
でも嬉しかったのは、サンタマリア・イン・トラステヴェレ教会広場へ出た時に、教会の鐘が時を刻んで鳴り始めた事。まるで歓迎してくれてるように感じた。
細い路地には所狭しとリストランテがテーブルを連ね、客達は美味しいワインをご堪能中。
その中を、石畳にキャスターをがつがつとひかっけながら、ホテルを探して歩いた。
リストランテの優しいおじさんが、ホテルを教えてくれた。すぐ裏だった。よかった。
とてもかわいいホテルである。ホテル サンタマリア。
綺麗なお部屋で荷物を整理して、道を教えてくれたリストランテのおじさんの店で、軽い夕食にありついた。
なにせ小食、下戸家族でありますので、ささやかな夕餉となりました。
ピザ、ミネラルウォーター、カプチーノ、ティラミス。
驚いた事にどれも美味しかった。
カプチーノはイタリアで飲んだ中で、結局ここがいちばん美味しかった。
そして店員さんの接客も素晴らしく、気持ちよく眠りについたのでした。。。
一日目、終了!
つづく。