2015年9月3日木曜日

知らないところで。

御無沙汰しております。

すっかり秋のこの頃ですが、秋って、無条件にセンチメンタルになっちゃったり。

そうるすると、ああ、身体も秋になっていくんだな~なんて思うんですが、今日はそういう話ではありません。

毎月1度、私の70代の伯母がヨガをしてくれていまして、ヨガと共に沢山のおしゃべりをして帰ってくるのですが、おもがけないことを話してくれました。

もうかれこれ10年前となりつつありますが、30になる歳に、初めての一人芝居をしました。

『ゼルダ~最後のフラッパー~』という作品です。
アメリカの小説家、スコット・フィッツジェラルドの妻、ゼルダ・フィッツジェラルドの生涯の物語。


私をよくご存じの皆様は分かると思いますが、日常生活は不器用なのに、芝居はそつなくこなしてしまうところがある私。同世代の演出家と芝居をしていても自分のトライしたいものや課題がうまくつかめず、29歳の私はいよいよもがいていました。

芝居をやめるべきか否か、そこまで煮詰まっていた時、私に救いの手を差し伸べてくださったかたが提示してくださった戯曲が『ゼルダ』でした。
初めての一人芝居。初めての42歳という役。

この、絶対に成功しない作品に挑むことが、私には砂漠のオアシスのごとく、正に欲していた環境でした。

そつなくやることなんて出来ない仕事。志事。

その環境で私はどこまで行けるのか。

事務作業の全ても自分で行って、初めての自主公演でした。

人生初めての挑戦でした。

話しは戻って、その時の『ゼルダ』を、伯母は観に来てくれていました。
その時ご一緒してくださったご友人の方が、最近

スコット・フィッツジェラルドの小説を読んで、私の舞台を思い出してくださったのだそうです。
ふと思い出す舞台というのは、演劇をやっている私でも、そうそうあるものではありません。

ましてや、その一瞬よぎる記憶の再生を、人に伝えることも滅多にありません。

なのに、その方は、わざわざ伯母に伝えてくださいました。

あの一人芝居を思い出すんです、と。


このブログを見てくださる方だって20人かそこら、私は、本当に無名の役者です。
広告塔になれる『女優』さんとは大違いです。
きっと、『作品』として、心に残れたのだと思います。

決して洗練された舞台ではなかったと思います。でも、人の心に、刻まれる何かがそこに残ったことにとてもとても深い感謝を感じました。

全てのお客様から直接感想を頂くことは出来ませんが、こうして、10年経っても心に残る作品に携われたことは、とても幸せなことだと思います。

知らないところで、私が愛した作品が、誰かの心を灯している。


これからも頑張ろうって思いました。
私はみなさんのおかげで芝居をやれています。役者をやれています。言葉を愛しています。
ありがとうございます。

そんなお恥ずかしい一人芝居のダイジェスト映像はこちら↓