梅雨入りした週末あけの月曜日、夕方ギリギリまでパッキングに追われるようにして、
フィレンツェへ母と行って参りました。
昨年のピエタツアーに引き続き、ミケランジェロをもっと見よう!ということで。
貧乏性の安旅行ですので、乗り継ぎが大変です。
家を出たのは17時、ホテルへ着いたのは、翌翌日の深夜2時。現地では翌日の9時ってことになります。
飛行機は、パリ経由。パリの空港で、ちょっとフランスらしさを楽しめるかと思いきや、着いたのは現地時間の朝の4時。
ターミナルのバスさえまだ動いてなく、シンとした空港。
でも、建築はモダンで格好良かったです。ウッディなドーム状の天井。
朝焼けもきれいでした。
お!ドゥオーモ!大聖堂!
さすが、ランドマーク、中に入る人の行列が連なっております。
でも、私と母の目的は教会巡りではなく、ミケランジェロ巡り。
すぐ近くのドゥーモ付属美術館にミケランジェロが自分の墓に飾るために作ったピエタ像があるので、そちらを早速拝見しに行きました。
かの有名な、24歳の若さで作った、サン・ピエトロ大聖堂のピエタは、ガラスケースに入って、かなり奥の方にあったのですが、(昔、美しすぎて銃撃した人がいたらしい)、晩年期に作られたこちらのピエタは、未完成のためか、襲われることもなく、たたずんでいました。
・・・・いた!
中2階の小部屋に、これだけが置いてあるのですが、入り口まで行くと、ブオッと、なにか、エネルギーを感じました。
そのエネルギーの卵のなかに、ぶよん、と入るように中に入ってみます。
ああ、このおじさんの顔、すごく深い。このまなざしは何だろう・・・。
そんな気持ちになったかと思うと、胸がいっぱいになり、涙が内側から出てきます。
これは何だろう?これは何だろう?サン・ピエトロ大聖堂のピエタを観たときと、全然違う。。。。
まだ未完成なのはわかるのですが、すでに慈悲深いまなざしは完成してます。
このおじさんの目を見上げながら、涙を流し続けるという、不思議なことになってしまいました。
しかも、あまり有名ではないのか、メジャーではないのか、観光客はほぼいません。
美術学校の修学旅行らしき子供達だけが、先生に連れられて来た程度で、ほとんど母と二人占めでした。
なんという贅沢。
このピエタには、ミケランジェロの内面的思想が彫り込まれている、とのことで、形式美を超越した、内面性、神秘性、精神性が表現されているとのことでした。
肌でそれが言わなくても伝わって来る、作品でした。
ちなみにこのおじさんは、ミケランジェロ本人とのこと。そうですよね、自分のお墓用ですものね。
最後の審判の壁画に、ズルズルの皮でぶら下がっている自画像を見たきりだったので、こんなに美しく仕上げたとは思いもよりませんでした。
このピエタ像には、向かって左側にマグダラのマリアがいるのですが、これは弟子が仕上げたのではという説があり、私も間違いなくそうであろうと思いました。
バランス感覚、眼差しのクオリティがひどく違うのです。
こんなに技量の違う人間が、あたかも、ミケランジェロのふりをして彫ったなんて、恥ずかしくないのかな?ってくらい違います。
そう、それは、本人はそっくりだと思ってるけど、全然似てないモノマネを観ているような恥ずかしさです。
ミケランジェロは生涯無愛想で、しかめっ面の難しい人だったと記されています。
でも、おそらくこのピエタを観た限りでは、それでも人に希望を持ち続けた、愛の人だったのではないかと思わざるを得ないのです。計り知れない愛の裏返しに他ならないのではないかと。
何というか、ミケランジェロは、人にも自分にも、あきらめなかったのではないかと。
そしてもし、今の世に、そんな才能がコミュニケーションにうまく出てこない人がいたら、理解してあげたい、せめて優しく見守ってあげられる人でありたい、とこの日から何度も思うようになるのです。
そんな大感動の中、フィレンツェツアーが、始まりました!
フィレンツェへ母と行って参りました。
昨年のピエタツアーに引き続き、ミケランジェロをもっと見よう!ということで。
貧乏性の安旅行ですので、乗り継ぎが大変です。
家を出たのは17時、ホテルへ着いたのは、翌翌日の深夜2時。現地では翌日の9時ってことになります。
飛行機は、パリ経由。パリの空港で、ちょっとフランスらしさを楽しめるかと思いきや、着いたのは現地時間の朝の4時。
ターミナルのバスさえまだ動いてなく、シンとした空港。
でも、建築はモダンで格好良かったです。ウッディなドーム状の天井。
朝焼けもきれいでした。
さて、フィレンツェへ到着して、朝の10時。さっそくホテルを出て、観光です!
何はともあれ、ドゥオーモへ行こう!と、バスで向かいます。
ここは日本で予習して、『冷静と情熱の間』で、ビジュアルはつかんでおきました。あの、茶色の大きいドームです。竹内豊が主演のやつです。
旧市街のこのあたりに来ると、石畳も見え始めます。というか、バスが石畳をドンドコ走って行きます。すごいなあ・・・。
ドゥオーモ前でバスが循環のためUターンするようで、バスに乗ってたおじいちゃんがここで降りな!と親切に声をかけてくれます。ありがとう。お!ドゥオーモ!大聖堂!
さすが、ランドマーク、中に入る人の行列が連なっております。
でも、私と母の目的は教会巡りではなく、ミケランジェロ巡り。
すぐ近くのドゥーモ付属美術館にミケランジェロが自分の墓に飾るために作ったピエタ像があるので、そちらを早速拝見しに行きました。
かの有名な、24歳の若さで作った、サン・ピエトロ大聖堂のピエタは、ガラスケースに入って、かなり奥の方にあったのですが、(昔、美しすぎて銃撃した人がいたらしい)、晩年期に作られたこちらのピエタは、未完成のためか、襲われることもなく、たたずんでいました。
・・・・いた!
そのエネルギーの卵のなかに、ぶよん、と入るように中に入ってみます。
ああ、このおじさんの顔、すごく深い。このまなざしは何だろう・・・。
そんな気持ちになったかと思うと、胸がいっぱいになり、涙が内側から出てきます。
これは何だろう?これは何だろう?サン・ピエトロ大聖堂のピエタを観たときと、全然違う。。。。
まだ未完成なのはわかるのですが、すでに慈悲深いまなざしは完成してます。
このおじさんの目を見上げながら、涙を流し続けるという、不思議なことになってしまいました。
しかも、あまり有名ではないのか、メジャーではないのか、観光客はほぼいません。
美術学校の修学旅行らしき子供達だけが、先生に連れられて来た程度で、ほとんど母と二人占めでした。
なんという贅沢。
このピエタには、ミケランジェロの内面的思想が彫り込まれている、とのことで、形式美を超越した、内面性、神秘性、精神性が表現されているとのことでした。
肌でそれが言わなくても伝わって来る、作品でした。
ちなみにこのおじさんは、ミケランジェロ本人とのこと。そうですよね、自分のお墓用ですものね。
最後の審判の壁画に、ズルズルの皮でぶら下がっている自画像を見たきりだったので、こんなに美しく仕上げたとは思いもよりませんでした。
このピエタ像には、向かって左側にマグダラのマリアがいるのですが、これは弟子が仕上げたのではという説があり、私も間違いなくそうであろうと思いました。
バランス感覚、眼差しのクオリティがひどく違うのです。
こんなに技量の違う人間が、あたかも、ミケランジェロのふりをして彫ったなんて、恥ずかしくないのかな?ってくらい違います。
そう、それは、本人はそっくりだと思ってるけど、全然似てないモノマネを観ているような恥ずかしさです。
ミケランジェロは生涯無愛想で、しかめっ面の難しい人だったと記されています。
でも、おそらくこのピエタを観た限りでは、それでも人に希望を持ち続けた、愛の人だったのではないかと思わざるを得ないのです。計り知れない愛の裏返しに他ならないのではないかと。
何というか、ミケランジェロは、人にも自分にも、あきらめなかったのではないかと。
そしてもし、今の世に、そんな才能がコミュニケーションにうまく出てこない人がいたら、理解してあげたい、せめて優しく見守ってあげられる人でありたい、とこの日から何度も思うようになるのです。
そんな大感動の中、フィレンツェツアーが、始まりました!