私の大学時代の恩師の一人、大内博先生が、2月14日、お亡くなりになりました。
私がそれを知ったのは、18日の朝。
オランダの友人がメールで教えてくれました。
時差もあったのでしょう、おそらく前日に届いていた訃報でした。
すでにお別れ会がおわっていて、参加できませんでした。
ご病気されていた事を全く知らず、昨年11月に回復した、というお知らせを頂いて初めて体調が悪かったのだと知ったくらいでした。しかも、回復したと思っていたので、訃報に固まってしまいました。
私は大内先生はが大好きで、当時、そうとは気づかず、今思えば明らかに、先生の魂の光に引き寄せられるように、先生のゼミに懇願して入りました。
英語学科の、コミュニケーションゼミを担当されていましたが、数々の精神世界の本の翻訳というお仕事もされていた、大内先生。
私は英語は上達しませんでしたが、先生の、誠実に精神世界と向き合う姿に、沢山のものを学ばせていただきました。
当時はスピリチュアルはあまり一般化されていませんでしたので、先生の精神性を掘り下げるワークショップにも学生で参加していたのは、私しかいない状況でした。
でも、「愛ちゃん、よく来たね〜」という先生の声と、そして、初めて知った、ハグの挨拶。その優しく温かい歓迎はいつも変わる事なく、私を迎えてくださいました。
そんな、きっといつでも会える、と思っていた、心の父のような、大内先生。
私はもう会えない、という事を中々理解出来ませんでした。
その日は一人になると、子供のように泣き続け、寂しさと、ここ10年、お会いする事なく過ぎてしまった時間にただただ後悔しました。
先生と会う度に、先生がとても誠実に誠実に言葉を選んで翻訳された本を買わせて頂いていました。ふと、その1冊1冊に、先生からのメッセージがあった事を思い出しました。
両親に貸したまま出て来ていない本もまだまだあるのですが、先生との思い出をたどれる唯一のもの、という気がして、自分で保管してた何冊かの本の、そのページだけを写真に収めました。思いもかけぬ早さで、このメッセージは私の宝物になりました。
私が、先生から教わった事。
それは、自分の中にはとても美しい魂があるということ。
人を愛するということ。
そして、人をゆるす、ということ。
不思議な事に、翌日、私の中から、悔しさも、寂しさも、ふわっとなくなり、先生の事を思い出す度に、やさしい何かに包まれるような感覚になりました。
『リトルツリー』の絵本にあるように、ああ、先生はこれからも見守ってくれるんだな、とわかりました。
「愛ちゃん」と微笑みで呼びかけてくれる先生の声を胸に、感謝の気持ちで再び歩んでいきたいと思います。
大内先生、ありがとうございました。
私がそれを知ったのは、18日の朝。
オランダの友人がメールで教えてくれました。
時差もあったのでしょう、おそらく前日に届いていた訃報でした。
すでにお別れ会がおわっていて、参加できませんでした。
ご病気されていた事を全く知らず、昨年11月に回復した、というお知らせを頂いて初めて体調が悪かったのだと知ったくらいでした。しかも、回復したと思っていたので、訃報に固まってしまいました。
私は大内先生はが大好きで、当時、そうとは気づかず、今思えば明らかに、先生の魂の光に引き寄せられるように、先生のゼミに懇願して入りました。
英語学科の、コミュニケーションゼミを担当されていましたが、数々の精神世界の本の翻訳というお仕事もされていた、大内先生。
私は英語は上達しませんでしたが、先生の、誠実に精神世界と向き合う姿に、沢山のものを学ばせていただきました。
当時はスピリチュアルはあまり一般化されていませんでしたので、先生の精神性を掘り下げるワークショップにも学生で参加していたのは、私しかいない状況でした。
でも、「愛ちゃん、よく来たね〜」という先生の声と、そして、初めて知った、ハグの挨拶。その優しく温かい歓迎はいつも変わる事なく、私を迎えてくださいました。
そんな、きっといつでも会える、と思っていた、心の父のような、大内先生。
私はもう会えない、という事を中々理解出来ませんでした。
その日は一人になると、子供のように泣き続け、寂しさと、ここ10年、お会いする事なく過ぎてしまった時間にただただ後悔しました。
先生と会う度に、先生がとても誠実に誠実に言葉を選んで翻訳された本を買わせて頂いていました。ふと、その1冊1冊に、先生からのメッセージがあった事を思い出しました。
両親に貸したまま出て来ていない本もまだまだあるのですが、先生との思い出をたどれる唯一のもの、という気がして、自分で保管してた何冊かの本の、そのページだけを写真に収めました。思いもかけぬ早さで、このメッセージは私の宝物になりました。
私が、先生から教わった事。
それは、自分の中にはとても美しい魂があるということ。
人を愛するということ。
そして、人をゆるす、ということ。
不思議な事に、翌日、私の中から、悔しさも、寂しさも、ふわっとなくなり、先生の事を思い出す度に、やさしい何かに包まれるような感覚になりました。
『リトルツリー』の絵本にあるように、ああ、先生はこれからも見守ってくれるんだな、とわかりました。
「愛ちゃん」と微笑みで呼びかけてくれる先生の声を胸に、感謝の気持ちで再び歩んでいきたいと思います。
大内先生、ありがとうございました。
『ゆるし』先生からの最後のメッセージでした。 |