2011年12月11日日曜日

岩手の保育園を回ってきました!その2

さて、二日目。

ホテルのごはんを限界迄腹に押し込み(私の限界は直樹さんの半分ですが)、いざ、釜石保育園へ向かいます。

今回の絵本語りは持ち時間が1時間。
その中で3冊の絵本と、歌、音楽、合奏などのお遊戯をすることにしました。

さすがは直樹さん、ミュージシャンです。
お遊戯のプログラムをお任せした所、『子ども達が楽器を持って、トランス状態になって楽しんでもらいたいんだよね・・・』というコンセプトで組み立ててくれました。

子どものトランス、確かに存分に楽しんで欲しい。

そういうわけで、子どもの発狂にも耐えられるように、釜石保育園では、音響機材も導入!
著作権の関係で、1冊の絵本はプロジェクターも導入!仕込みに90分かけます。 



そして、子ども達との楽しい時間が始まりました。。。




勿論、熊さんとねこちゃんの帽子を冠って! (チャリティライブのときのお客さんが特注で作ってくださいました!)

最初は、『木のあかちゃんズ』。
「この絵本ね、こんなにちっちゃいから・・・・この大きさにしてきたんだけど、見える?」
と私。
「わぁああ!大きすぎ!見え過ぎ!」とはしゃぐ子ども。

木のあかちゃんズ、ちょっとクスクス、と笑いながら楽しんでくれました。

そして、『だってだってのおばあさん』。
これは、98歳のおばあさんが99歳の誕生日にろうそくが足りなくて5さいの誕生日をむかえ、何をするのも楽しくなってしまう、おもしろかわいいお話し。

思った以上に大爆笑でした。

そして、最後は、『わたしクリスマスツリー』。
一本のもみの木が、きれいな町でクリスマスツリーになることを夢見るのですが、森の中で美しいツリーになるお話し。実はとっても大人向け。何より私が胸を打たれてしまった作品。
こちらは、OHP式のプロジェクターを使い、舞台の壁で、大画面で見てもらいました。
子ども達は、大きなスクリーンに興奮しつつ、夢中になって見てくれました。
そして、子供達にイントロを唄ってもらいながら、『永久の満月』。
「月、好き♪」かわいいコーラスが響きます。
さて、ここで、直樹さんのギターで、みんなと歌を歌いました。
『幸せなら手をたたこう』。
(私)「しってるかな?」
(子供)「しってるーーーーーーーーーー!!!!」

みんなで立って、直樹さんの指示に合わせていろんな事をしました。
手をたたき、いないいないバーをし、ジャンプし、ハグをし、握手し、泣き、笑い・・・・









もはや子供達はトランスに入ってしまいました。思ったより早い!

ここで、直樹さんはお着替えタイム。
私と子供たちは楽器を手に、演奏の準備。メトロノームに耳をすませながらリズムを取ります。カスタネット、、タンバリン、鈴などを手に、子供達も張り切ります。


そこで、直樹サンタ登場。ギターのうまいサンタに、子供達は、新鮮な驚きです。
そして、皆でクリスマスナンバーを、合奏とともに、熱唱。






こうして、釜石保育園の楽しい1時間はあっという間に終了しました。

終わってから、事務局長の八幡先生と、ゆっくりお話しをさせて頂きました。
先生は、これからほかの取材に出す、先生の原稿をそのまま私達に下さいましたので、別途ご紹介します。

お話しのなかで、特に話されていたことは、国が動かないので、保育園の再建目処が立てられない、ということでした。
釜石保育園は現在、廃校になった幼稚園をそのまま使わせて頂いています。
でも、あと2年でそこを出なくてはなりません。

局長にとっては、どんなに借金してでも、再建を果たして引退したい、という想いが強くあるそうです。
でも、海の近くはもう建てられない、では、建ててよい土地はあるかというと、民間の土地だけ、国でフォローしないので、土地がない、土地がない、土地がないんだ。と。

非常に切実な問題だと思いました。そして、釜石は特例を出して、この1年間は保育園は無料になっているそうです。でも、もし来年から急に有料に戻したら、海沿いで仕事がなくなった親御さんは子供を預けられなくなり、そして、子供がいるから働けなくなる。そういう悪循環が産まれてしまうことを危惧されていました。
このままでは、保育園が建てられず、子供も通えなくなってしまう。

正直、10月に見てきた釜石と、何も変わっていません。がれきは片付いても、鉄筋の建物はまだ廃墟として残ったまま。そこからの進展は、おそらく復興業者の方々でなければ分からないくらいなのではないでしょうか。
ハード面もソフト面も、これからが『復興』なのだと思います。
子供達も、親御さん達も、先生達も、いいことが沢山訪れて欲しいと、心の底から思います。

物資よりも、心の応援が一番嬉しい、皆さんの想いをきいて、胸が熱いです、と局長さんがおっしゃってました。

太朗ちゃんと同じように、局長さんも、
「私は、震災は風化する、と思っています。
だから、一人でも多くの方に伝えていきたいのです。」と、おっしゃって、被災した建物、そして、今の元気な子供達、撮影することを「むしろ伝えて下さい」、と許可してくださいました。

勿論、このブログを見て下さる皆さんに、そんな方はいないと思いますが、特に子供達の写真は、決して悪用しませんよう、ご協力お願いいたします。


つづく。

岩手の保育園を回ってきました!その1

さあ、書きます!
と気合いを入れないと、寒くて寝てしまいそうです。。。


御陰様で、東北被災地行脚 絵本語りは第一弾を無事に終了しました。

12月8・9日の一泊で岩手県釜石市へ赴き、保育園を2カ所、回らせて頂きました。
8日は、被災した2軒の保育園があった場所を回りました。

鵜住居にある、鵜住居保育園は、鵜住居駅の線路のすぐ側。
鵜住居の景色には海辺がありません。でも、もう何もないのです。何も。
うっすら見える電柱が、線路のあった所です。その奥に保育園はあったはずです。
かつて、『鵜住居駅入り口』という交差点だったようです。駅舎らしきものは見当たりませんでした。  
この辺りは、今はがれきもなく、本当に何も残っていません。
がれきは鉄筋コンクリート建てのもの以外は今は取り壊しや運び出しが終わっているそうなので、鉄筋ではなかったものが沢山建っていた、と言うことなのでしょうか。
ここから後ろを振り向いても、ほぼ、平地です。

そして釜石保育園。
こちらは時々テレビでも出てきます。
私も、レ・フレールさんのドキュメンタリーで拝見しました。



わかりますか?

ついたのが日暮れ時だったので、暗くてすいません。これでも朝7時には埼玉を出て・・・。まあいいか。

何はともあれ、ここは、すぐ向こうが海です。港です。
完全に中が流されて、空っぽです。
向こう側が、とてもよく見えます。

実際に見ると、どれだけの波が来たのだろう、と思ってしまいます。

それでも、どちらも場所を移して、何より先生方が頑張っていらっしゃいます。
子ども達と、楽しいときを過ごそう、きっと過ごそう、と、気合いを入れて、ホテルで最後のリハーサルをしました。

つづく。