2015年11月4日水曜日

ひまわり号、今年も走りました!

ひまわり号、今年も走りました!走り抜きました!

最初は、目的地の駅の一つ手前までしか行けない、とか、
ルートの都合で交通費が上がる、とか、
車いす用の乗車用のスロープ(渡り板のようなもの)は、一つしか出せない、とか、
停車時間は2分しか作れない(←車いすが8台も居るのにですよ)、とか

言っていたJRも、目的地の新杉田駅まで走り、正規の交通費になり、
出発駅の西国分寺駅にはスロープを沢山用意してくれて、
停車時間も4分くらいは取ってくれました。

やればできるんじゃないですか。

毎年驚くほど対応が悪いJRなのに、毎年当日の駅員さんはとても優しいです。

JR、不思議な会社です。

そして、今年は31回目。30回の節目を超えて、国分寺ひまわり号はどうなっていくのかと思ったら。

過去最高の参加者数となりました。
235名!

凄いですね。全員は中々交流できませんが、でも、毎年楽しみにしてくださる方がいるのは、実行委員やってて、本当に嬉しいことです。

今年は、わたしは新しい係に挑戦しました。
最後尾チェック。

いや~、これはとても怖い仕事です。私が取りこぼしたら、その人は行きや帰りのひまわり号に乗れないわけですから。

しかも、235名の顔を私は把握できていませんので。
ドキドキしました。オレンジのスカーフだけが目印でしたので。

毎年、こういう作業をしてくれる諸先輩の実行委員の方がいて成り立っているんだな~、と、実感を新たにしました。まだまだでございます。

そして、今年は、『多摩探検隊』という、J-comというケーブルテレビ局で放送されているドキュメンタリー制作をしている学生さんたちが密着取材をしてくれました。

6月の下見からご一緒してくださり、実行委員の仕事とうちの両親の仕事を撮影し続けました。みごとな密着ぶりだったと思います。
ひまわり号の当日も、朝6時にうちに来て、荷物を運び出すところから、打ち上げ後、うちに荷物を戻すところまで、ずっと密着してましたので。
頑張りました。
撮影クルーのみなさん、ありがとうございます!お疲れ様です!いつか放送される日を楽しみにしていますね!

車内でも、ちょうど妹と一緒にいるときに取材されました。
『お父さんて、どんな人ですか?』
『・・・・・。』(私)『強敵。』(妹)
言葉にするのが難しいですが、
『世の中には、なにも出来なくても、その人が『居る』ことが大事、という人がいるのだということを、父を見て知りました』
というようなことを答えたと思います。

子どものころはエラそうな事ばっかり言って、何もしない父が憎らしいくらい嫌いでしたが、この人がいるだけで、障害者の人たちの雰囲気が変わる。それに気づいたときに、そういうこともあるのだと学びました。

そして、目的地の八景島シーパラダイス!とてもいい天気に恵まれました。
水族館を楽しんだ人、絶叫マシーンを楽しんだ人。釣り堀でアジを3匹も釣った人。色々楽しめる場所でした。

そうして、帰途につき、日の暮れる前の西国分寺で解散式が出来ました。
解散式が5時前のひまわり号も久しぶりでした。

さて、打ち上げの席にて。
毎回、打ち上げ希望者はだれでも参加できるのですが、今回も30人くらいの人が集まりました。
そして、恒例の一言ずつの自己紹介と感想を述べるのですが、〆は実行委員長の父です。
『僕の使命は、夢を語り続けることだと思います!これからも夢を語りたいと思います!』
と断言していました。そう、そういうこと。何も出来ないけど、夢だけは語る。
そんな生き様を自分の使命だと、言い切った父はある意味やっぱりすごい人だと思いました。
その父の夢の一つであるひまわり号は、お陰様で32年続いています。
夢を語る人がいて、叶える人がいる。
夢っていうのはそうやって、みんなで育てていくものでいいなと思いました。
あなたの夢はなんですか?ではなくて。みんなで夢を持っていいですよね。
私達の夢はなんですか?って。

そんなひまわり号でした。
打ち上げ前に、久しぶりに会えた友人との写真で終わりにしたいと思います。
こうして、ひまわり号で再会できる友人がいること、私のフォローをしてくれる夫がいること、沢山の感謝の日でもありました。
お疲れ様でした!