2012年3月6日火曜日

さあ、絵本語りライブ、始まります!

東北のご報告をしたところで、

もう一つ、告白します。

実は、今回、カメラを持って行くのを忘れました。
それは見事に、私も、直樹さんも忘れました。

なので、写真がありません。すいません。

でも、ご安心を。

動画を撮りました。

これは、なんとか頑張って編集して、今後お見せしたいと思っています。
でも、著作権の関係で、サイトには掲載出来ません。

観れる方法は、一つだけです。

そうです!絵本がたりのライブに来て頂くこと!イエイ!

今回の絵本語りライブでは、東北の活動をちゃんとご報告したい!と思い、東北でも、ドキュメンタリーチックに、(あくまでチックです)ビデオを撮って参りました。
前回の、三春・釜石を含めなんとか(安い編集ソフトで)編集し、お見せする予定です。
子供たちの雰囲気、東北の寒さ。私達のリハーサル風景まで、お見せしたいと思っています。

ライブの日程は、こちらをご覧下さい。→絵本語り

しかも!
もひとつ、お楽しみがあります!
それは、今回は、絵本の販売もします!
絵本語りで好きになった絵本を、すぐに手に取り、余韻ごとおうちにお持ち帰りできるのです!
もちろん、わたしたちの日頃の活動のCDやDVDも販売します。

いろいろ楽しい会になって、楽しくみんなで、東北の応援をしていきたいと思っています!
ぜひぜひ、いらして下さい。

皆さんの、東北への想いがあって、私達は行かせて頂いています。
それを、ちゃんとご報告して、お返しして、そしてまた、新たなエネルギーを運ぼうと思います。

ご来場、心よりお待ちしております。

東北へ行ってきました!3〜番外・遠野編〜

私達は釜石へ行くときは、釜石の宿は半年後まで取れないのが常ですので、遠野の宿を使います。
今回は遠野の駅舎のホテルに泊まりました。
いわき市へ行く日、ちょうど遠野はひなまつりを、町中で開催していました。

と言うのは、雛とは、歴史、という意味だそうで、遠野は昔話をする語り部さんがいることで有名なのですが、街のいろんなお店で、語り部さんのお話しを無料で聞けて、更に、昔から代々引き継いでいる、ひな人形を見せてくれていたのです。

絵本語りをしていたら、語り部さんが気にならない訳がありません。
丁度、遠野駅の駅舎のとなりにも、語り部さんがいらっしゃる、コーナーがあったので、朝一で、行かせて頂きました。

私達が関東から来たことを告げると、まず、震災がどうだったかを、話して下さいました。
語り部さん、物語だけでなく、これからは、震災のお話しも、こうして語り綴ってくださるんだなあ、としみじみ。

そして、3つの物語をお話ししてくださいました。
東北弁でお話しするのですが、とてもやわらかくて、やさしい響きで、心にスーーーッと入ってきました。
とてもいい勉強になりました。

そして、町中に飾られた、ひな人形を見て歩きましたが、ひな人形、東京にいると、『買うもの』というイメージが強かったのですが、そうか、こうして代々引き継いで行くものだったんだなぁ、と感動しました。

そうやって、自分の娘、孫に、元気に育って欲しい、という愛を込めるんですよね。
古いひな人形をお見かけするほどに、大事にとっていたり、ちょっとお着物を取り替えてみたり、後ろの屏風を変えてみたり、手を込めるほどに、愛がこもってるんだなぁ、としみじみ感動しました。

遠野は、お母さんと、おばあちゃんの愛のお祭りでした♪

東北へ行ってきました!2〜福島いわき編〜

さて、岩手を翌日後にして、7時間のロングドライブの後、いわき市に来ました。

私、ここで痛恨のミスを犯します。

いわき市にはホテルが沢山あるので、油断して、予約をしてませんでした。

ところが。
どこも満室!!!!
ボランティアや復興の業者の方で、満室なので、ご予約願います、という文字が至る所に・・・・おお〜!そうでしたか!嬉しいことですね!
でも、
やばい!
直樹さんは運転で疲れて、地下の駐車場へ行くエレベーターで、3階へ上がってしまう、という酩酊状態。
宿・・・・。


そんな疲労状態なのに、直樹さん、ホテルのフロントへ直談判に行って下さいました。
(その前に6軒くらい電話で断られたり、フロントで断られたりしてます。)
そしたら、駅のかなり近くのホテルで、喫煙の部屋ならある、とのこと。

そこにしましょう!無いよりは!

と言う感じで、無事に宿を見つけました。

今回のいわき市の保育園は、いわきから国分寺へ戻ってきた、ヨガのメンバーさんの紹介で行かせて頂きました。
ここは、驚くほどに明るい保育園でした。
梅香(うめが)保育園と言います。
とても大きな保育園で、園児は110名、いらっしゃいます。
この保育園には津波の被害がないため、ボランティアの方が来ることが殆どないそうで、とても喜んで受け入れて下さいました。
今は、それくらいの保育園のほうが、受け入れるゆとりもあるのだなあ、としみじみ。
いい悪いではなく、タイミングとか、さじ加減のようなことです。

子供達は、人数が多いだけに、規律を守る必要性を肌で知っている感じで、静かに絵本の世界に集中してくれました。
お遊戯も、なんとまあ、1、2歳の子達も一緒に参加してくれて、何も出来なくても、夢中になって、その『場』に参加しているのが伝わってきて、とてもかわいかった!

ここだけでなく、全ての保育園で、驚くのは、一番集中力があるのは、1、2歳児でした。
絵本や、レクを、じっと耳をすませて見つめています。興味があるほどに、微動だにしません。
あの体力は大したものです。大人になったらなかなか出来ない姿を見せてくれました。

 お遊戯は、園児が多いだけに、先生方が積極的に参加して下さり、保育園のみんなで、一つになった感じが、とても素敵でした。

 終わってから、放射能の線量のお話しを聞いたりすると、やはり県内でも場所によって違うので、自分たちより高い線量の地域には非常に気をつけていたり、最近になってまた地震が来るので、改めて非常用の水や、ガソリンの確保等、気をつけてるんですよ、という家庭のお話しもして下さいました。

最後に、是非また来て下さい!と明るく見送って下さり、初めてのいわき市訪問が終わりました。


ここでは、保育園の先生方に空き時間を作って頂いて、ゆっくりしてもらう、と言うよりは、楽しい非日常を一緒に過ごして、明日の元気にして頂く、という感じだったような気がします。

これからも、その時その時のシチュエーションを大切に、みなさんと関わって行きたいと思います。

皆様の何かしてあげたい、という想いがあってこそ、私達は東北へ行けます。そして、その想いを頂いているからこそ、子供達は、気持ち良くって、心地よくって、楽しいのだと思います。
ご支援・ご協力、ありがとうございました。そして、これからもどうぞよろしくお願いいたします!
私達なりに、みなさんの優しさを運ばせて頂きます!

東北へ、行ってきました!1〜岩手釜石編〜

御陰様で、東北被災地への絵本語り、第2弾が無事に終了いたしました!

皆様のご協力に感謝です!

もうすぐ震災から1年、と言うことで、釜石市街は、ようやくコンクリート建物の撤去が始まっていました。津波で流された1階部分を、新装して、再営業しているところもありましたが、暫定なのでしょうか・・・分かりません。

釜石の保育園へ行って、正直に感じたこと。あくまで、私が感じただけで、現実は分かりません。

先生方が、非常に疲れていました。

子供達は、とっても、元気!よかった!
絵本を聞いてるときの集中力も前よりグンと上がっています。
先生に、『子供達の集中力が上がりましたね』、と話すと、
『ようやくボランティアさんが減って、日常が戻ってきたので、子供達も安定してきたかもしれないですね』
とのことでした。

確かに、みなさん、復興=日常に戻ること、ですもんね。
非日常を持ち込む側として、ちょっと、複雑な気分でしたが、いったん保留にして。

絵本3冊、しっかり聞いてくれた後は、今度は、皆でちょっと体を動かすレクリエーションをしました。
 釜石保育園では、子供達が盛り上がりすぎて、駆け回って衝突する、というアクシデントが何カ所かで起こり、楽しかったり、痛かったり、子供達も大忙しです。
最後に『永久の満月』を、一緒に歌い、元気な子供達との時間はあっという間でした。


理事長先生も、かなり疲労が溜まられていらっしゃったようで、
『疲れました〜・・・・。』と、何度もおっしゃってました。

被災者の心がケアされるような措置が必要だと、何度もおっしゃってました。

ボランティア、と言うよりもどこかの大学の先生や、何かの団体の方がよくいらっしゃるようで、ゾロゾロと来て、名刺を渡し、子供達とはそんなに接することも無く、お話しをして帰られるのだそうです。

『あなた方みたいに、名刺も無く、個人的に、子供達の為に来てくれてる人がいいんだよ〜』
『出来ることしてくれれば、それでいいんだよ〜』『それがうれしいんだよ〜』
と、おっしゃってくださって、先ほどの先生が沢山人が来て疲れているのは、こう言うことなんだなー、という考えに至りました。

でも、勿論、保育園内のことだけでなく、それぞれの方が、家庭や、家族の仕事等、復興していきたい課題があって、精神的にやはりマックスに疲れている時期のようです。

3月で、3人の先生がお辞めになるそうです。
その中には毎日、何も無くなってしまった、鵜住居町を通勤路で車で通い続けて、もう精神的に耐えられなく、釜石が嫌になってしまった、と言う先生もいらっしゃるそうです。
釜石市の海沿いの街は、本当にどこも小さいので、きっと、知り合いの方が沢山いらしたり、沢山思い出のある場所だったり、したのかもしれないですね。

想像出来たけども、一年経ってもそんなに変わらない。
そのがっかり感は被災者の方々にはとても大きな疲労源だと思います。

鵜住居保育園も、今回は初めて園長先生とお話しさせていただきました。
鵜住居保育園は、去年が10周年、という、まだ新しい保育園だったそうです。
それが、何にも残らないほどに流されてしまい、園長先生も残念でした、とのことでした。

子供達は、前回同様、とても元気でした。
鵜住居保育園でも、絵本とレクリエーションをしましたが、釜石では出来なかった、『大工のきつつきさん』というレクをすると、先生達もずいぶん昔にやったっきり、久々!ということで、楽しく一緒に参加して下さり、一体感のある空間になりました。

鵜住居保育園も、釜石保育園も、新用地が決まったそうです。
進みの遅い話ですが、鵜住居では小学校が、プレハブですが、再建され、鵜住居小学校の子供達は、避難していた小学校から、自分たちの新しい校舎へ帰ってきました。
保育園も、これからどんどん動きが出てくるといいなあ、と思います。

被災地の現状はこのようにほぼ変わらない、動きの遅さなのに、国からの補助金は3月で終わり、と言うことで、仕事がない親御さん等、とうとう4月から子供を預けられなくなります。
保育園の児童数も、大きく減るそうです。

そういうストレスフルな支援しか、路は無いのでしょうか?

なにか、循環してく形になるといいな、と思います。

 釜石の理事長先生が、『僕も次ぎ来た時、いなかったらごめんなさいね』とおっしゃられて、この方が一番疲れているんだなぁ、と思うと、けっして頑張って下さい、とは言えず、
『どうか、お元気で』と最後にお伝えしました。
その瞬間に、顔をくしゃくしゃにされて、『ありがとう、ありがとう、』と、私と直樹さんの手をぶんぶん握手して、涙ぐんでいらっしゃいました。

本当に、優しい心の方で、責任感の強い方で、沢山の弱っている人と、保育園のことを気にかけていらっしゃいます。

釜石に、早く春が来ますように。